高エネルギー物理学の波及効果



 物理学の目的は真理の探究にあります。

 人類はその遺伝子の中に未知なるものへの好奇心・探求心などが組み込まれているのではないか、 と思えるほどに、遙か昔からこの世は何から出来ているのか、 宇宙を支配する法則は何なのかに思いを巡らせて来ました。
 この探求の結果得られた数々の知識は、結果として人類の物質的な幸福にも多くの、 無くてはならない貢献をしてきました。 また相対論と量子力学は現代物理学の2大支柱ですが、 量子力学の誕生は産業現場での要請と極めて密接に関連していました。 (この辺の事情は、「数理科学」2003年7月号に詳しく書かれています。)

 物理学は、その掲げる目的とは裏腹に、極めて実生活と関係の深い学問なのです。

 それでは高エネルギー物理学は具体的にどのような形で人類の幸福に役立ってきたのでしょうか?

 高エネルギー物理学で得られた物理学上の知識自体が人類の役に立ったことはまだありません。 「高エネルギー物理学」はまだ若い学問であり、 その結果が実用に供される迄にはまだ暫くかかるでしょう。 しかしながら、高エネルギー実験がその遂行のために生み出した数々の技術は、 既に実生活に幅広く利用されています。 以下にその代表的な例を幾つかご紹介致します。



加速器

 加速器は「素粒子実験」を行なうための装置として開発されました。 1928年のワイダローによる高周波線形加速器の開発、 1931年のヴァン・デ・グラーフによる静電加速器の公開実演、 同じく1931年のローレンス・リビングストンによるサイクロトロンの開発、 1932年のコッククロフト・ウォルトンによる静電加速器の開発とそれを用いた人類初の原子核実験、 これらの加速器は全て素粒子実験(当時の)を行なうための装置として開発されました。
 加速器の開発が進みエネルギーが上がると、 それにつれて素粒子実験における新たな発見がなされ、 「素粒子」の概念も変化していきます。 その結果さらに高いエネルギーの加速器が必要とされ・・・ ベータトロン、AVF・シンクロ・リング等各種サイクロトロン、 シンクロトロン、衝突型加速器などが次々と作られました。 この過程で、加速器から生み出される各種粒子が色々な応用の可能性を 持っていることに研究者はすぐ気づきました。
(パリティ物理学コース「加速器科学」参照)

 加速器はその始まりから医学利用が図られてきました。 X線管は電子を高電圧で加速して金属にぶつけるという、 加速器の濫觴のようなものですが、 電子線形加速器は早くからX線の発生装置として医学現場で利用されていました。 早くも1933年には加速器の医学利用を目指した大規模な研究が ロックフェラー財団の資金援助を得て始まり、 サイクロトロンを用いたアイソトープトレーサーの製造が研究されました。 また1937年にはヴァン・デ・グラーフ加速器やサイクロトロンを用いた、 最初のガン治療が試みられています。
 その後は加速器の発展に伴い、陽子線・中性子線・中間子線・重粒子線など、 加速器が生み出しうるあらゆる粒子が医療分野で利用されています。 日本だけでも放射線医学総合研究所を初め、筑波大・東北大の医療用加速器や 兵庫県立医学粒子線医療センターなど多数の加速器が活躍しています。 また加速器を用いて製造される放射性同位元素も、 医療用トレーサーやポジトロンCTとして広く利用されています。
( http://www.aip.org/history/lawrence/radlab.htm 参照)

 サイクロトロンから時代は下って、電子シンクロトロンが誕生しました。
 1947年にはG.E.で最初の放射光の観測がされ、 研究者はすぐ放射光の応用可能性に気づきました。 初めは素粒子実験の合間に物性研究に使われるだけでしたが、 その後、半導体研究とその産業応用が引き金となり 放射光利用施設が建設されます。 日本でも1962年に原子核研究所に軌道放射光施設が作られ、 数々の物性研究を行ないました。 また1964年にはドイツでDESYが、1968年には米国でTantalus Iが 稼働を開始しました。
 その後はより短波長、より高強度、あるいは単色化を目指し、 数々の挿入光源などが開発されてきました。 またリニアコライダーのために開発された超低エミッタンスのビームは、 飛躍的に高品質な光を生み出します。 そしてこれらの放射光は、半導体の超微細加工や非破壊検査、分子の構造解析、 超微量分析などに幅広く用いられています。
( http://xdb.lbl.gov/Section2/Sec_2-2.html 参照)


超伝導電磁石

 産業現場での最初の超伝導コイルは、 1962年にウェスティングハウス社によって製作されました。 その有用性をいち早く認識した高エネルギー研究者はすぐさまその研究を始め、 1964年には超伝導電磁石がゼログラジエントシンクロトロンにおける高エネルギー実験で使用されました。 その時以来高エネルギー物理学は超伝導電磁石に対してもっとも厳しい条件を課し、 より強い磁場、より薄いコイル、より大口径のソレノイドなどを、 産業界と共同してその開発にあたってきました。 このようにして得られたテクノロジーは、 70 年代後半の超伝導核融合実験炉や、 1977 年に始めて行なわれた人体のMRIへと応用されているます。
(http://superconductors.org/History.htm 参照)
(http://www.anl.gov/OPA/history/sixties.html 参照)
(http://fire.pppl.gov/fusion_library.htm 参照)
(http://www.cis.rit.edu/htbooks/mri/chap-1/chap-1.htm 参照)



上記の他にも色々な応用・貢献例があります。

ざっとまとめて表にして見ました。

加速器自体の応用
放射光 半導体超微細加工、非破壊検査、構造解析、超微量分析
X線レーザー 核融合、表面解析、超微細加工、生体細胞ホログラフィー
電子線 高分子架橋・硬化、滅菌処理、不妊化、排煙浄化、核廃棄物処理
中性子線 物質構造解析、放射化分析
陽子線 ガン治療、核廃棄物処理
重イオン線 ガン治療、慣性核融合
ミュー粒子線 ミューオン触媒核融合
放射性同位元素ポジトロンCT 、医療用トレーサー、非破壊検査、発芽抑制
加速器技術の応用
要素 関連技術 貢献
電磁石 超高磁場超伝導電磁石 NMR
高透磁率フェライト 電力トランス
高周波 高周波超伝導空洞
大出力高周波クライストロン
これからこれから
超高真空 表面処理 CRT / TV
高放射線環境 耐放射線材料 原子炉(*)・宇宙ステーション
測定器技術の応用
計算機・データ処理 WWW、GRID、金融工学
光学素子 暗視装置、ポジトロンCT
放射線測定器 ポジトロンCT、X線透視装置
超伝導電磁石 NMR / MRI

(*)今では原子炉近傍の方が加速器よりも遙かに高放射線環境ですが、 世界初の原子炉はフェルミら高エネルギー物理学者が建設し 1942年に臨界に到達したCP-1です。

yoshiaki.fujii@kek.jp, 10-July-2003